『日本のワイン醸造発祥の地 宮光園』
夏休みの宿題の一環として、日本ワインの歴史を調べに来園しました。
勝沼朝市会場から徒歩5分位の場所にある
宮光園(←甲州市役所のHPへ)は、宮崎光太郎が自宅に開いた『宮崎葡萄酒醸造』と観光ブドウ園の総称で、明治に始まった国産ワイン醸造の貴重な資料・道具などが展示されています。(のちのメルシャン)
もともと個人所有でしたが甲州市に譲渡され、近代産業遺産整備事業として整備され、平成23年に開園しました。
施設の北側にある、ぶどうの搾りかすを蒸留するための煙筒や、地下になってる醸造場はまだ整備途中です。
1877年(明治10年) 民間で日本最初のワイン醸造『大日本山梨葡萄酒会社』が設立され、同社は高野正誠と土屋龍憲を約2年間フランスに派遣しました。若き2人はぶどう栽培やワイン醸造に付いて学んで帰国します。(地元・甲州市の小学校では、先生から教わる内容なんですよ)
宮光園には、2人が『大日本山梨葡萄酒会社』とかわした契約書などが残ってます。
高野正誠と土屋龍憲が初めて作ったワインが宮光園に保管されています。
まだワイン瓶を国内で製造していなかったので、横浜の米軍で使われた瓶を使用したそうです。
ワインを初めて飲んだ当時の日本人には、日本酒にはないワインの酸味や苦味に馴染めなかったそうです。また価格も日本酒の6倍以上し、当時の不況の影響もあり1886年(明治19年)『大日本山梨葡萄酒会社』は解散。
『大日本山梨葡萄酒会社』が解散後、宮崎光太郎はフランス留学経験のある土屋龍憲と新たに『甲斐産葡萄酒醸造所』をスタート。
『大黒天印甲斐産葡萄酒』と言う本格的なワインを生み出します。
その後、宮崎光太郎は『甲斐産商店』を引き続き、東京に葡萄酒を輸送します。
1892年(明治25年)には『宮崎醸造所』を興し、帝国医科大学や宮内庁御用達ワインとして事業を拡大していきます。
こちらは当時の「手回し破砕機」で、甲州葡萄を潰しやすい様に工夫されているそうです。
施設の方に、歴史・建物の構造・ワイン醸造・当時の文化など詳しく説明して頂きました。貴重な内容を色々と教えて頂きありがとうございました。
宮光園を整備している時に発見された8mmフィルムをデジタル映像化したものが視聴できます。明治~昭和初期のワイン醸造や観光園の様子や、皇族来園時の貴重な映像が残っています。ゆったりと視聴できるので、興味のかる方はおススメです。
この大黒様は一般的な米俵ではなく、ワイン樽の上に乗っています。
「宮光園」と道向かいの「メルシャンビジターセンター」には、宮崎光太郎が収集した石碑が多く残っています。醸造場などを見学しながら、石碑を見るのも興味深いです。
宮光園(←甲州市観光協会のHPへ)
甲州市勝沼町下岩崎1741番地
9:00~16:30
休館日 火曜日(祝祭日にあたる場合は、その翌日)
年末年始(12月28日~1月4日)
駐車場 ぶどうの国文化館駐車場
観覧料
大人(20歳以上、学生を除く) 200円
子ども(未就学児を除く) 100円
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